2014年10月24日金曜日

退職ナウ



10月17日付けで、3年半務めさせていただいた某社セールスエンジニアのポジションを resign しました。

この三年半はとても刺激的でした。きっかけは2010年の夏、ポジションのオファーの連絡をいただいた際には、それまでの話とは違い、オファーが目に入った三秒後には「これは面白い、やりたい!」という気持ちが溢れていました。 HR 担当者との Skype 越しでのインタビューでは、「ウチの会社は昼メシ時に一本スキー滑ってる人もいるよ」「うわぁ!オレ絶対入社したいです!」「おいおい、これは面接だからそこは忘れるなよ?」 「で、あなたはこの会社で何をするの?」「私は御社の日本チームを代表するエンジニアになりたいです!」「、オーケー!オーケー!」みたいな、英語が話せないなりにアレな感じではじまりました。

 自身の能力不足で色々なチャレンジがありましたが、恐らく同社のAPACのセールスエンジニアとしては、少なくとも社内のセールスエンジニア組織ではもっとも認知された一人になれたと思います。当初の requirement を満たさないなかで採用としてくださった当初の SE マネージャ、また、採用当初から退職時までワガママを聞いていただいた VP には感謝の言葉しかありません。



いまから一年ほど前、自分が扱っている商材はなんだろうかという、心の中での自問自答に一つの答えが得られました。

時は1990年前半、私が小学生のときまで遡ります。当時、私は父親の仕事用マシンである PC-9801VM2 を”乗っ取り”、そのマシンに乗っていた 2MB のバンクメモリに魅せられていました。

PC-9801VM は 16 ビットのコンピュータで、メモリのアドレスは合計 20 ビットの幅で、最大1MBのメモリ空間しかアドレッシングできない制約がありました。一般的に MS-DOS の 640KB の壁という制限です。当初は「640KB? いったいそんな大量のメモリ、一体何に使うんだよw」という会話が普通にありましたが、今となっては 640KB ごときでは本ブログ記事のレンダリングすら不可能なほどの、限られたキャパシティです。

当時のエンジニアもやはりメモリ不足を感じており、 Intel や Lotus などの企業が協力して EMS (Extended Memory System) という規格を作り出し、私が実家で弄っていたバンクメモリボードは EMS 標準化の過渡期にあった製品でした。

そのバンクメモリは衝撃的な経験でした。当時といえば不揮発層はフロッピーディスクがガシャガシャ音を立てて数秒後に漢字変換の候補があらわれ、ハードディスクといえども100ミリ秒単位のアクセス時間があったように思います。そのような中でほとんどI/Oの時間が感じられない「バンクメモリ上のRAMディスク」がやはり快適なしくみで、 2004 年の就職に際しての上京直前にバンクメモリカードを「あ、これは大事なものだから残しておこう」と箱にしまってきたのを今でも憶えています。

私が3年間(、ないしは1990年から)かけて得た答えは、コンピュータのシステムメモリに対して、追加のメモリ空間で容量をブーストをすれば、コンピュータが快適に利用できる、ということです。

MS-DOS 時代は 20ビットのアドレスバス制限のなかで 640KB を超えるメモリ空間の扱いに対して技術的なアプローチが採られました。対して Windows 95 から 32 ビットのオペレーティングシステムになり、現在のプロセッサは 48 ビットのアドレスバスで DRAM をアドレッシングできるため、バンクメモリのような発想は不要だと思われたのですが、しかし取扱データ量の増加に伴い、必ずしも DRAM で全てのデータをカバーできなくなりました。

私が 2011 年から扱っていたデバイスは、 640KB 制限時代のバンクメモリの生まれ変わりでした。フラッシュはストレージとして考えれば高いですが、しかしDRAMやSRAMと比べると恐ろしく安価です(散々”高い”と言われた取り扱い製品は、DIMMと比較すると、定価ベースで5〜6分の1のバイト単価で買えるのです)。この特性を活かして、コンピュータのアーキテクチャでメモリといえばDRAM、二次記憶といえばHDD、が常識になったときに、フラッシュによるメモリ階層の可能性を思い出させてくれたのが、自分が3年間関わったデバイスでした。ヘネパタを読んでも出てこない、今後は DRAM だけではなく容量重視のフラッシュを不揮発層を併用するコンピューティングの時代が訪れる足音を、私は聞いていたのです。

私のなかでは、この結論を得た段階でたぶん満足していたのだと思います。今後、わたしたちはどれだけ抵抗しようが、DRAM, Flash, 磁気メディアを組み合わせてシステムを構成せざるを得ない時代に突入しつつあります。現時点で私は MacBook Air, iPhone, iPad mini を持ち歩いていても全て不揮発層は Flash であり、私を含むユーザ層が Flash を搭載したデバイスでがんがんサーバに負荷をかければ円盤を回している余裕なんてあるわけがありません。 Flash が円盤を置き換えるのはもう完全に時間の問題で、プロセッサ、DRAM、その他I/Oデバイスと二次記憶、という50年来のコンピュータアーキテクチャが変わりはじめる瞬間に立ち会ってきたのだと思います。



なんとなく自分のなかで一つの満足に到ったわけですが、いまの自分は何をしたいんだろう、という問いに対して暫く悩んでいました。まだこの答えははっきりと出ていませんが、その一部は「これは面白い、やりたい!」という4年前の自分の”想い”です。嫁も彼女もナシで、ワンコのラピスも天に召され、守るものが何もない立場の特権かと思いますが :) 自分がやりたい事に時間を費やしてみたいという気持ちに正直になることにしました。

これまで10年間、SIおよびコンピュータ向けのハードウェアベンダ ——つまりはIT業界の仕事に関わらせていただきましたが、今は、自分自身が一番興味があるテクノロジーに自分の時間を費やしたいと思い、ITとはちょっと離れた某スタートアップのお手伝いをすることにしました。まだ自分がどのように貢献できるかわかりませんが、SI時代の経験、ハードウェアベンダ時代の経験を活かして、新しい技術の発展や普及に貢献できれば、と思っています。

この3年半は色々な方にお世話になりました。また、割と時期的に盛り上がっている会社でもあり、会社名や名刺のパワーで IT 業界のさまざまな方とご挨拶ができ、時には吞みながら意見を交わせさせていただき今に到っています。様々な刺激をありがとうございました。

中期的、長期的に自分がどのようなキャリアパスをとるのかはノーアイデア感半端ないのですが、暫くは、IT業界をひとつ離れたところから見つめながら自身がどのように貢献できるのかを模索し、コンピュータの世界を盛り上げられる一人になれる日を向かえられるようにしたいと思います。

p.s.
楽しいお誘いはいつでも大歓迎です。

2014年10月20日月曜日

オープンソースカンファレンス2014 東京・秋で利用したEject-io LTプレゼンテーション

週末に明星大学で開催された OSC2014 初日の懇親会で利用した Eject-io のプレゼンテーションをアップロードしました。

昨年末からのネタで大したアップデートはありませんが、今回はトーマスが走るデモを実装しまして、自作OS界を牽引するあのお方のお子様が魅入ってしまうなど、確実に業界に対してのインパクトは増しております。

Eject-io の詳細についてはこちら(過去のブログ記事)をご確認ください。

次世代I/Oインターフェイス「Eject-io」

なお当日は懇親会を途中で離脱することになったため、前倒しでLT枠をいただきました。ご配慮いただきました @akkiesoft さん、また LT に誘ってくださった @akkiesoft さん、そして Eject でインスパイアしてくれた @akkiesoft ありがとう!

2014年10月17日金曜日

Software Design 2014年11月号に「サーバの目利きになる方法 後編」を寄稿させていただきました。



前回はバタバタしておりブログで紹介するタイミングを逃していましたので、今回はタイムリーに。。。。

先月号に続き「サーバの目利きになる方法」として20ページの記事を掲載していただきました。内容は、これまでのネットワーク技術の変遷(10BASE-5以降)と主要ストレージなストレージ技術(特に今後の普及が確定的なフラッシュストレージ、およびRAID関連の基礎知識)、そしてオマケ程度ではありますがサーバの管理機能について紹介しています。

ネットワーク技術は学生時代(10年以上前)の知識で書いているところも多いですし、前号同様、知っている方にとっては何も新しい情報はないかもしれませんが、限られたページ数と時間の中で「自分が一緒に働くITインフラエンジニアがいたとしたら、その人に知っておいてほしいこと」を優先的に詰め込みました。

今回も、アプリケーションよりのエンジニアにはあまり知られていない話だと思いますし、興味がないところかもしれません。そんな中でも「へぇ」「なるほどね」と思ってもらえたら、またITインフラエンジニアの方にも何か発見があったり、より専門的な知識の獲得のきっかけになったら有難いです。

今回の記事は、私一人でやらせていただくよりも、ひとつひとつの分野についてより専門的知識を持った方で担当を別けたほうが魅力的な記事になったのでは、という思いもあります。とはいえ、SD編集長さまより全編任せていただいたので、自分の視点から見た世界を、自分のこれまでの体験を振り返りながらまとめました。

各分野のエキスパートによる記事をまとめたければ、そもそも私の所に執筆の話はきていなかったでしょう。また、色々と調べなおして勉強になったので、この機会には感謝しています。今年の冬に向けての軍資金も手に入ります:)


今回の記事はページ数に対してカバーしなければならないエリアがとても広かったので、前編・後編に渡って多くの方にアイデア提供、査読、アドバイス、ご協力をいただきました。ありがとうございました。

執筆期間中にご協力、フィードバックをいただいた方々

石井 宏和さま
板谷 郷司さま
伊藤 宏道さま(日本仮想化技術株式会社)
海老澤 健太郎さま(Riava, Inc)
桑野 章弘さま(株式会社サイバーエージェント)
佐野 裕章さま
須藤 武文さま(さくらインターネット株式会社)
田中 邦裕さま(さくらインターネット株式会社)
東根作 成英さま(レノボ エンタープライズ ソリューションズ株式会社)
宮本 久仁男さま

また、2号とも脱稿が遅れ、技術評論社の Software Design 編集部の方々にはご負担をおかけしました。本当にありがとうございました。